金光秀起
代表社員/杜氏
1975年生まれ
「賀茂金秀」はこの名前から一文字ずつとって命名。
東京農業大学卒業後、実家に帰り普通酒主体だった蔵を建て直すため奔走。
姉2人の末っ子長男として生まれたため、大人しめの性格。
頑固な一面もある。
当初私は蔵元の息子に生まれたにもかかわらず、日本酒が好きではありませんでした。
あるお酒に出会うまでは…。
今から20年ほど前、当時25歳の私がある純米酒を口にした時の率直な感想は、
「おいしくないな…。」
酒蔵に生まれながら日本酒がおいしいと思ったことは一度もありません。
もちろん自社のお酒も含めてです。
これでは日本酒が衰退していくのは当たり前。
当時、日本酒の需要はアルコール飲料の多様化に伴い落ち込み続け、特に若い世代や女性にとって
日本酒は
「ダサい」
「おやじが呑む酒」
といったイメージを持たれている方もいらっしゃいました。
そんなイメージを持たれても仕方ありません。そう思っていました。
それから間もなく、その悪いイメージを覆すとんでもない日本酒と出会ってしまったのです。
それは華やかな香りで、口に含むと果物のような香りが口いっぱいに広がり、飲み込んだ後はきれいに消えていくのです。
「うまい。」
思わず言葉がこぼれました。
いままで飲んでた日本酒はなんだったの?
そのお酒は広島ではなく東北のお酒でした。現在では手に入れることすらままならない銘柄です。
日本酒でこんな感動するものができるんだ!
お米が原料でありながら果実のような香り。綺麗なのど越し。別次元のお酒でした。
うちの蔵でも感動を呼ぶお酒が造りたい!
それからほとんど独学で猛勉強をしていきますが、酒造りは冬場だけですので結果が出るのに時間が掛かってしまいます。
そのため一年一年が真剣勝負です。
お酒は当然嗜好品ですので客観的に評価してもらう必要性を感じ、目標を作りました。
それが毎年行われる
「全国新酒鑑評会」での「金賞」受賞。
創業以来一度も受賞したことがなかった賞であり、数あるコンペの中で最も権威のあるものです。
まずはここで「金賞」をとることを目標にしました。
当時「金賞」をとるには酒米の王様ともいわれる「山田錦」を35%まで磨いたものを使用するというのが広く知られていましたが、私は広島県のお米である「千本錦」にこだわり勝負を続けました。
それから苦節7年、平成21年(平成20酒造年度)に金光酒造としては
創業以来初となる「金賞」を受賞することができました。
時間がかかりましたが、ようやく勝ち取った金賞でした。
今では過去直近10年を振り返ると8回の「金賞」を獲得。(一度の「銀賞」、一度の落選)
その技術を出品酒以外の全ての商品にフィードバックして、今では民間の品評会においても上位入賞を獲得するまでになりました。
>>近年の受賞歴
1本のお酒との出会いが人生を変えた。
そんな衝撃から20年。
時代も移り変わり日本酒メーカーも世代が交代していきました。
現在、
市場には過去最高においしい日本酒が並んでいる
と言われています。
是非、皆様に日本酒のおいしさや多様性を楽しんでいただけると幸いです。
最後に、日本酒の製造は新規参入ができない業界です。
先祖の興した酒造業に邁進し、
「こころに残るおいしいを求めて」
をキャッチフレーズに、皆様にひと時の安らぎと感動をお届けすることを誓います。
令和2年6月
代表社員
金光秀起